富士山の恵みと、時を超えた人の営みと

燦々と降り注ぐ陽射しと穏やかな気候、富士山や箱根山の噴火活動から生まれた肥沃な土壌、
そして長年にわたる人の営みが作り上げた野菜たち。 その一品一品が、箱根西麓ならではの宝玉です。

富士山と箱根山の噴火が
もたらした豊かな土壌

歴史に記されるようになる遥か昔から、富士山と箱根山は幾度とない噴火を繰り返してきました。
箱根西麓地域には、この数々の噴火によって大量の火山灰が降り積もった結果、野菜の生育に適した水はけが良くて肥沃な土壌が形成され、この豊かな土壌が箱根西麓三島野菜の美味しさをもたらす母体となりました。

東海道のにぎわいを背景に、
豊かな土壌に磨きがかかる

東海道五十三次の宿場の一つ「三島宿」は街道の難所である箱根山を控えた宿場町として栄えました。
この「箱根路」には、山中新田、笹原新田、三ツ谷新田、市山新田、塚原新田の「五ヶ新田」という集落が設けられ、 街道を行く旅人のための茶屋や宿、人足や駕籠かきなど多くの人々が集いました。
こうした人々の住まいや店、宿の屋根材としてこのエリア一帯では茅が育てられ、これが良質な堆肥としても活用されたおかげで箱根西麓地域の土壌はさらに良質なものとなったことで、より多くの野菜が育てられることにもつながりました。

「坂もの」野菜が、伊豆・箱根
などの温泉宿で大人気に

やがて明治を迎えると街道の宿駅制度そのものは廃止されましたが、江戸と京都を結ぶ東海道はその重要度をますます高め、行き交う旅人や貨物の量も増加の一途をたどりますが、その後東海道線が開通すると、旅客や貨物運送の主力は鉄道へと移行します。
その結果、旅人を相手に商売をしていた人々が新たに山麓を開拓して農家となったことで、 それまで以上に多量の野菜が育てられるようになりました。
この野菜が近隣の温泉地である箱根や伊豆の旅館に「坂もの」野菜として納められたことで、多くの人々にその美味しさが知られるようになっていきました。

そして、ブランド野菜
「箱根西麓三島野菜」となって

こうした経緯を経てきた箱根西麓の野菜生産ですが、戦後からはコロッケ用の「男爵」を中心にジャガイモの生産が本格的になっていきます。
このジャガイモは「日本一うまいジャガイモ」とも呼ばれ、日本を代表する某一流ホテルでもこの地のジャガイモを使った料理が提供されていたほどです。
さらに高度経済成長期には、箱根西麓の土壌にマッチしている上、より商品性の高い「メークイン」が栽培され、今も高級野菜として名だたる料理店やホテルなどで愛され続けています。
箱根西麓三島野菜は、ジャガイモやサツマイモなどの根菜類はもとより、ほうれん草、小松菜、白菜、レタス、ねぎ、ブロッコリー、えだまめ、かぼちゃ、セロリなど数多くの良質野菜を取り揃えたブランド野菜として、全国を舞台に確固たる地位を築いています。